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zoom RSS 第十七回「直江兼続誕生」2009.4.26

<<   作成日時 : 2009/04/26 22:13   >>

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「直江兼続誕生」です。ようやく、というか、もう三分の一強まで進行してしまっていますからね。やはり、御館の乱のぐだぐだ感が今さらながらにもったいない。むしろ、子役時代に三話を割いたほうがよかったかもしれません。当初の勢いを失った視聴率梃入れのためでもあるでしょうが、喜平次(溝口琢矢)&与六(加藤清史郎)の新しいシーンを追加撮影するぐらいですから。
毛利秀広(長谷川公彦)の刃傷事件の原因が、上田衆の取立て、とりわけ兼続(妻夫木聡)の家老就任に対する不満ということになっていましたが、どうなんでしょうか。単に御館の乱恩賞のもつれ、としたほうがよかったような気がします。それすらも、私は違うと思っていますが。
新発田重家の乱はすでにおこっていますが、唐突に名前が出てきただけでした。
そして、武田家滅亡。「救いの手をさしのべたのは上杉だけ」はともかく、織田、徳川、北条と攻め立てられる武田家の描写をしてこそ、上杉家の救援が際立つような気がするのですが、武田家滅亡の悲哀も伝わって来ず、何かそっけなかったです。
しかし、景勝(北村一輝)は「武田が滅亡した今、自分に価値はない。城を追われる覚悟はできております」と病身の菊姫(比嘉愛未)にたどたどしく「夫である自分はこれからもそなたを守る」といった意味のことを伝えて、ツンデレ姫の心をとろかせます。よく言った、景勝(笑)。ここでしくじっていたら、全国から石もて追われていたでしょう。「亡国の美姫」とは、ちょっとそそられる設定です。
一方、直江家への婿入りが決まった兼続とおせん(常盤貴子)はまだまだ気持ちのすれ違い。
「さげすまれているやもしれぬ」と書状も出さない兼続。
「お忙しいのでしょう」と勝手に解釈するおせん。
まだまだ視聴者的に焦れったいふたりです。
「本庄、村上など阿賀北衆(後略)」は変ですね。本庄は阿賀北衆の大物ですが、村上は地名です。本庄氏の城の名でもあります。
本能寺の変までそろそろカウントダウンに入ろうか、という頃ですから、明智光秀(鶴見辰吾)と信長(吉川晃司)の確執めいたシーンを入れておきたいという制作サイドの意図はわからんでもないですが、それこそ唐突に「光秀謀叛!」でもよかったような気がします。信長の最期よりももっと上杉サイドを丹念に描いて欲しいのが本音なので。
それにしても、明智光秀と徳川家康(松方弘樹)のシーンはよけいでしたね。本多正信(松山政路)もいる前で、光秀、ちょっと軽率すぎまやしませんでしょうか。

【武田への援軍】
これは本編中に関連文書も紹介されていたとおり、史実です。上条政繁(鷲生功)をはじめとして主だった武将十数名が信越国境へ派遣されています。ドラマ中、「織田軍を破り、長沼城を陥落させた」というのは時期が少しずれています。おそらく、三月はじめ頃だったろうと思いますが、すでに武田勝頼は甲斐へ退き、十一日に自刃してしまいます。その後、織田家の部将森長可が海津城に入り、越後国境まで攻め込みますので、この頃までに上杉軍は撤退していたかと思われます。

【直江家相続】
天正九年十月三日付けの黒金景信書状では、まだ「樋口与六」となっていますが、十一月十九日須田満親書状では、「直與(直江与六)」となっています。須田満親の書状は、十一月十三日付けの兼続書状に対する返書ですから、十月はじめから十一月十三日までの間に、兼続の直江家相続が決定したと考えられます。

【一志大夫とからす組】
ドラマでは、八海山や妙高山の山伏に目をつけたということになっていますが、その首領・一志大夫(高阪剛)はもと伊勢国一志郡の人であるといわれています。「いちしぐん」と読むので、「いしだゆう」「いっしだゆう」よりも「いちしだゆう」が正確でしょうか。実在の人物で、分限帳等にその名が見られます。「からす組」というのは記録にありません。




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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
やはり御館の乱で時間取り過ぎましたね。スタジオ撮影で炎上する府中での戦闘や栃尾城下炎上でやっつけてしまえば良かったのにと今更ながら思います。

新発田合戦やっと出ました!碁石でしたあ。満足です。新発田方に付いた阿賀北衆は、黒川と鮎川くらいでしたっけ?本庄は結局加担しませんでしたね。
越後の猫
2009/04/26 22:33
>「からす組」というのは記録にありません。
幕末仙台藩の衝撃隊が元ネタでは?兼続が太刀をかついで堀を泳ぐ予告編のシーンも、魚津市主催の講談で既出で、ここらは「水滸伝」あたりのパクリと思われます(笑)
上田衆を代表して魚津に赴任した「あべ」は実在の人物でしょうか。
鶴居村
2009/04/26 22:35
>幕末仙台藩の衝撃隊が元ネタでは?

そのあたりは承知しています。上杉のからみでいえば創作。幕末の細谷十太夫関連は、ありきたりすぎてコメントしませんでした。安部仁助は魚津城将にその名があります。父子で籠城しましたが、どちらかというと、安部政吉は父親のほうですが、ドラマの設定としては息子のほう(仁介)としたほうがふさわしかったか、と。
三楽堂
2009/04/26 22:50

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