第八回「謙信の遺言」2009.2.22

兼続(妻夫木聡)が謹慎を解かれて、景勝(北村一輝)のもとへ復帰します。もちろん、これは創作で、この時期、兼続は史料上にまだその名を刻んではおりません。そして、早い。早いですね、もう謙信(阿部寛)が倒れる八回目です。織田勢との一度きりの対戦、手取川の戦いにのぞむ謙信のセリフ、「大切なのは時だ。天が味方する時」というのは、第一回における信長が今川義元に勝利した桶狭間の戦いをふりかえって言うセリフ、「天の運に頼るような戦は、戦ではない」という合戦観と対照的です。それにしても、つい先頃までは「西に向かう戦には義がございません」と謙信のウケもよかった景虎(玉山鉄二)が、今回は率先して西上・天下一統をアジってますね。キャラクターづくりが首尾一貫していない印象を持ちます。このような発言権は史実の彼には実際なかったでしょう。そして、前回から登場した信綱(山下真司)が兼続と出会います。おじゃまキャラというか、KYキャラというか。なんとなく哀れな存在です。まあ、一番のKYは初音(長澤まさみ)でしょうけど。
サブタイトルは「謙信の遺言」とありますが、ドラマ中盤で一度ふらついて倒れた時に、謙信自身に死期の自覚があり、急遽、兼続を呼び戻したような流れになっています。したがって、謙信の側には兼続にかけた言葉を遺言として意識していたことになるでしょう。それならば、兼続より景勝や景虎には何か言うことはなかったのかよ、とツッコミたくなります。

【手取川の戦い】
「上杉に逢うては織田も手取川はねる謙信にげるとぶ(信)長」という狂歌でも知られる加賀手取川の戦い。実は、謙信の書状でしか詳しいことが語られていません。そのため、言い伝えられるような上杉大勝利があったのか、疑問も呈されています。あったとしても、局地的な小競り合いに過ぎなかったのでは、という意見もあります。いずれにしましても、この手取川の大勝は川中島以降、退場間近い謙信最後の「花道」といった位置づけでしょうか。また、秀吉が信長に侍っていましたが、北陸鎮定の主将柴田勝家に反発して、勝手に退陣したため、信長の怒りを買って謹慎中でありました。

【第六天魔王】
この言葉は『耶蘇會士日本通信』に登場しますが、武田信玄が「テンダイノザスシャモンシンゲン(天台の座主沙門信玄)」と信長に書き送ったのに対して、「ドイロクテンノマウオノブナガ(第六天魔王信長)」と信長が応じたというものです。宣教師の記録にあるのみで、信玄・信長の間で本当にそのような応酬が行われたのかどうかは不明です。





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この記事へのコメント

よーぜん
2009年02月24日 10:48
>兼続より景勝や景虎には何か言うことはなかったのかよ

人物の描き方がひどくお粗末な気がします。
なぜあの泣き虫でヘタレな兼続くんに謙信がああまで思いいれているのか全く伝わってきません。兼続という出来上がった人物像がすでにあって、無理やりそこに押し込めようとしているように感じてしまいます。(それすらかなり無理があるように感じます。)
子供時代はひどく生意気で、ほかの子供たちともうまく打ち付けていなかったのに、少し成長したら、子供時代の気概はどこへやら、人気者ではあるが、ヘタレに成り下がっていた…。
どうせなら、あの子役の子にもう少しがんばってもらって、半年くらい雲洞庵時代における人物形成を丁寧に描いていただきたかった。(資料がないのでどうとでも描けるはず)
鶴居村
2009年02月26日 11:56
>手取川の戦い
地元でさえ知名度が低いのは、後で織田系の前田領になったせいでしょうか。が、織豊勢の北国攻めの前哨戦として、後の合戦に与えた影響は大きかったのではないか?と考えています(統一勢力もない越中に攻め込むにしては随分と慎重に思えるので)。

>兼続という出来上がった人物像がすでにあって、無理やりそこに押し込めようとしている

兼続を「生身の人間」として描こうとする脚本の意図と、「出来上がった人物像」として描いている原作の路線がかみ合っていないのを感じます。その路線の破綻をキャスティングでカバーしているといったところかと。

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